キラキラ夢を見てた頃
あの頃は、キラキラと言うよりも年中無休で”ギラギラ”してたな 笑
高校を卒業し、東京のファッション専門学校へと進路を決めた
初めて住んだ東京の街...それは、今も第二の故郷と称す、昔は「古着の街」や「バンドマンの街」で一躍若者に人気を博した...
「 #高円寺 」と言う、中央総武線上に住んでいた
好き勝手バイクを乗り回し、日中はそれこそ自給自足で働いた
進路や将来の件を考え、私は土地柄もあり、駅前の当時有名店だった DIME STORE で勉強をしながら必死に働いた
都会には正直抵抗は無かった
高校時代も、よく都内に住む先輩達を頼って、大きな休みには必ず長期で遊びに来ていたからだ
特に、”地方訛り”も気にすることなく克服し、少しずつVINTAGEの古着の魅力に吸い込まれ...後にドハマりしていくのであった
好きゆえに吸収力も桁外れ、海外にバイヤーとして長期で滞在する機会も増え、益々この「沼」から抜け出せない状況へ
徐々に街では知名度もつき、周辺のSHOPスタッフとも親交が増え、気付けば仲間ばかりだった
いつもその「輪」の中心には自分が居た
正直この頃が、自分の中の「絶頂期」、何をするにも楽しかったし、金銭的に貧しくとも苦とも思わなかった
飯なんぞ食わなくとも、毎日仲間と酒やら遊びの繰り返し、そんな自分の事も大好きだった
丁度その頃、”古着ブーム”ということもあり、TV番組の特集やファッション雑誌に頻繁に出て露出が増えていたこともあり、それらが切っ掛けで #ASAYAN と言う人気雑誌でファッションモデルも1.2年経験させてもらった
その後、名前が独り歩きし、更に有名な東京の「ファッションのメッカ」でもある原宿竹下通りにある老舗VINTAGEショップ #Luby's のオーナーからヘッドハントされ転職する事に
この頃には、携帯には複数名の芸能人の電話番号が登録されているほどまでになり、今尚この頃を”天職”と感じる
それらが講じて、今も #fashion が好きで、特にデニムやスニーカーには目がない
「人に歴史あり」とはよく言うが
果たして...この頃の経験が”今に活かされているか?”は全く不透明だが
”当時は当時の道理”があった
それが”潔いほど真っ直ぐ”だったし、脳内が幸せに満ち溢れていた
この頃に当然”後悔”など微塵もない
逆に”あの瞬間に戻りたい”と思うことも少なくない
俺は、生まれ育ったこの街が嫌いでしょうがなく、人や街とも早くおさらばしたかった
それが今じゃ「地方創生」やら「町興し」、当時の自分からすりゃ「なにやってんの?」と腹を抱えて笑っていたろうに
ただこれが...「今の自分」だから
言い訳も後戻りも出来ない
だから余計に思うんだ...「あの頃の気持ちのまま、今の時代を生きれないのか?」と
皆さんは「毎日が楽しいですか?」、「心からそう言い切れますか?」
私には「向上心がまだある」
遣りたいことも
誰の目も気にせずに
では
藍-心から楽しいと思える日々を-の人
