世のビジネスシーン
それは...「忖度(そんたく)」の塊
いや、この忖度なくして”成功”はあり得ない
私は後世の経営者を目指す者達へ...そう伝えたい
特に「政治」との所謂”繋がり”は当然必須といったところだ
地方創生、インバウンド・復興事業、どれを掲げても決して発言権すらなかった
片田舎であればあるほど、この”事態は色濃く”、そう言った地元での”コネ”が業績に大きく影響する
特に思うのは、”高い授業料”を払ってでも、直結する”組織”の会員になる事は必須だった
私自身、起業が遅かったのもあり...その組織へ入会の声が掛かったのが、私が40歳の誕生日を迎える半年前だった
自動的に40歳になった時点で、”卒業生”と言う形、世間的に「OB」と言う立場に変わる
当然、”現役”の頃に顔を作り、その後OBとしてのパイプを持つと言うのが正論だが...この場合、無理を押し入会しても半年では何もうまない、そう判断し決断に至った
当然そのことを、お世話になっていた国や県の運営する機関へ”伺い”を立てるも、「やめておいて正解です」やら「あれは道楽で酒を呑む場所」という様な回答だった
しかし、ここ地元に戻り起業することが、ここまで「市政」と距離感があるものだと知らされてからでは遅かった
遠い...
だからゆえ、本業である”都心のアパレル”業務の受注を強化する選択を早々としたのであった
如何に”認知されるか?”が肝になる
そう言う意味では、起業後9年弱の時間が経過し、”私個人の顔を知ってくれた人は少なくはないが、私の営む企業の事業内容まで周知してくれた人は極少数”である
無論、その中にこそある「技術力や提案力」などは知る由もない
だからこそ思う、”故郷への愛情”、想い入れの深さ等々、自分には本当にあるのか?自問自答の毎日
身近な人達は口を揃えてこう言う、「御社は都内に所在地を移す方がメリットがあるのではないか?」
そう...的を射ている分、返す言葉が見つからない
震災が無ければ、前職を退くことも、そしてまた都心へ独り戻ることもなかったろう
私は単に、”それらが切っ掛け”で進む道を阻まれ、家族との時間も引き裂かれた結果だった
人それぞれ、起業する理由も様々
ここで私が”綴っている内容”を「負け犬の遠吠え」と茶化す人間も居るだろう
謂わせておけばいい
ただ10年を迎えるなら...本気で会社としての機能をフルに発揮する為には、「都内進出・移転」も視野に入れております
「生き残る為になにが出来るか・そして今何をすべきか」
ひとえに、”行動あるのみ”
悠長なことは言ってられない、取り敢えず今出来る全てを目の前にあることに全力で注ぎます
それではまた
藍-敷かれたレールがないと言う強み弱み-の人