俺はその瞬間、此処へ居た
それも必ず定期的に...
決まった日に決まったエア便に乗り
そして決まった空港へと降り立つ
決まっていなかったのは、到着する時間帯くらいなもんだろうか
朝一番の時もあれば、真夜中遅くに
今となってはかなり早まったが、当時は片道乗り換えなし、ゆうに16時間の宙船の旅だった
初めは緊張ばかりで眠る事も許されず、ただただ緊張しかなかった
時は過ぎ、場数が増えると、この焦りや不安も拭い去り、穏やかにただ楽しみでしかなかった
空港に到着し通関...そして入国
真っ先にレートを見て、空港内でUS$通貨にすかさず”exchange”
紙幣をポッケに握りしめ、おおよそ10日間あたりの旅がここから毎度始まるのだった
行先はLA(ロサンゼルス)、有名なカリフォルニア州だ
着いた初日は、必ずホテル内に”プールが完備”されたところを事前に予約
check-inし部屋へ荷物を降ろし、真っ先に着替えロビーに集合
到着日は、なんせ只管プールで半ば遊び、半ば本気でドロドロに疲れるまで泳ぎ疲れるのを待つ
その疲れた身体で直ぐにベッドイン、「時差ボケ」を修正すべくひっくり返った時間を”眠る”事で調整する
だから初日は、”ロングビーチ沿い”、割かし治安の良い日本人観光客も多い施設が多かった
ビックリするのは、TVは無造作にイジると何気なしに日本の局番はNHKだけは観れたのが新鮮だった
フロント横には、必ずと言って良いほど「読売新聞」が”1日遅れ”で置いてあった
そう、若き日の私は仕事上「買付け」の為に、毎月の1/3はほぼこの地LAに滞在していた
時期的に、流行に沿って買付け地をヨーロッパに代える事も極稀にあった
兎にも角にも、20歳前後の青年には「全てが刺激的だった」
今考えても、このルーティンの為に生き、このルーティンが最高にハッピーだったのだ
まるで夢の世界
「英語は分るのかって?」いや、現地でバイヤーと交渉する事もあったが、「聞き取り理解する方」は徐々に慣れるも、話す方がてんで成長しなかった
でもどうだろう...言っている意味が薄っすら伝わると、必然的に「対話」が成立し、無意識にと言うか自然に「コミュニケーション」が生まれる
毎月同じ時、同じ場所へ行くのには理由があった...そう「目的」が
って...何をいきなりってBLOGの書き出しで頭の中が???かな
私は、18歳で独り上京し、某ファッション系の専門学校へ通いながら、傍らで有名ショップの「バイヤー」をやっていた
この頃は勢いもあり、ファッション雑誌の素人モデルとしても露出していた...ここまでが大方の経歴
さて、話題を”本筋”へ戻そう
その毎月の「目的」こそが、LAで開催される #ローズボールフリーマーケット だ
規模は世界最大のフリーマーケット、俺にとっちゃ好きな物の囲まれて...まるで夢の国だった
【ローズボールフリーマーケット】とは?
毎年1月1日に、アメリカカレッジフットボールの試合が行われることでも有名な、ロサンゼルスのパサディナに位置するローズボールスタジアム
ここで毎月第2日曜日にフリーマーケットが開催されます
出店は、毎回2,500店以上
来場者は約2万人で全米最大級を誇ります
わざわざこのためだけにLAに訪れる人もいるほど、全世界からのバイヤーが集まります
場内にはとにかくところせましと商品が並びます
VINTAGEの一点ものが多いので見ているだけでもわくわくしてくること間違いなしです
値下げ交渉も可能なので、そこも楽しむポイント
当時の”古着屋”の買付けは、専属のディーラーの仕入れだけではなく、このフリーマーケット会場に行き、我先にと物珍しいものを如何に早く安く買うか?が勝負だった
これがマジで楽しいのなんのって...衣類だけに限らず、歴史ある家具や雑貨など、ありとあらゆるアイテムがゲート毎に区切られ、所狭しと陳列してあるのだ
勿論、これは先に触れた様に”20年以上前の話し”だが、今も尚このイベントは引き続き開催され続けている
余談だが...このフリマで功績をあげ...ここで言う、「良い買い物」が出来ると、翌稼働日は完全OFFとなり、社長と半日かけて隣のネバダ州、あの夢の街でもある #Las Vegas(ラスベガス)で豪遊が待っていた
眠らない街、ホテルの窓のカーテンの隙間から、黄金のネオンが常に眩しいくらい差し込む
ベガスは、砂漠に囲まれた街、日中フラフラ出掛けると、それこそ直ぐに熱中症
昼間はゲータレードで水分を常に補給し、夜はホテルのバーでシュリンプカクテルを食べる、決まって煙草はフィルター無しのMarlboroってのが日課だった
時にはダウンタウンで危険な目にもあい、時にリトルトーキョーで味噌汁?ってラーメンを食べたり
今はこんなだが、俺にも自慢できる、そんな「光ってた時代」があった
この経験は勿論、今の自分の肥やしになっているし俺の誇りだ
自分の歩んだ道に「嘘も後悔もなし」
そしてまたいつか...この土地に降り立つ、それが俺の夢だ!
俺が俺である意味、それは自分自身が一番よく分かっている
誰の理解なども求めない、ただ真っ直ぐに自分の”ゆく道”を信じて
次回、機会があらば【負の時代in上海】の話しをしよう
藍-当時は今より20kgは痩せてた・笑-の人
