2021年10月26日

時代の商売

こんばんは

この頃よく考えます

コロナ禍で脚光を浴びた「習慣やシステム」について

今となっては当たり前の行為...例えば、マスク着用に店内に入る際の手指消毒

あの東京都だけでも、新規感染者数が2桁前半まで激減した今、この-魔の2年-で「常識化」したことは、以後どうやって語り継がれるのであろう

世界的疫病vs人類の英知、まさしくこれにあたる

消毒液やマスク、その他-おうち時間-の充実化を図るべく、色々な物をルーティンで買う様になった

本当にこれらの行為自体が廃っていくのだろうか...それとも、これからも脅威として一生付き纏うのだろうか?先の予想が出来ない

人は、このコロナ禍の時代背景の中で「消費意欲」が激減した訳ではない

当然、自由が利かぬ上に、当たり前じゃない事を無理強いさせられてきた出費や精神の傷は深く、困窮し財布を”開き難くなった”のは容易にわかる

しかし一方で、その「ニーズとシーズ」が上手く噛み合い、目まぐるしく業績を上げたものもある

1つは、今では「テイクアウト」と言う言葉を耳にするのが自然になったが、以前では到底耳障りも薄かった

テイクアウト?と言うか、一昔前は配達ありきですが、デリバリー(出前)と言っていたのを覚えているだろうか

未だにトイレも1つおきに用を足す、これも施設等では鉄板の常識化した

この2年余の間に、我々の生き方、習慣、そして考え方まで変えさせられた

人と接する事を「密」と言い、これを「悪」とした

冗談半分ではあろうが、マスクをする事で「目元だけの化粧で済む、もしくはスッピンで楽になった」等、人類は”郷に入っては郷に従え”、適応能力に優れているのであろう

この事態に、将来の不安要素や金銭面、健康面などの精神的に病む層も増え、さすると心療内科や精神科が儲かると言った仕組み

だから故に、衆院選のマニュフェストは「バラ撒き法案」なんて言われ、国債を発行すると言うのにも関わらず、現金支給は預貯金に回してしまう一部の国民が居る、よって「期限付きのマイナポイント」などで支給しようと言う発言が目立つ

「金は配る、けど経済を回す事が目的だから手元に残すな」、この道理の通らぬ論争が仮にも有権者である国民を愚弄しているのではないか?

困窮している家庭や企業があるならば、使わず懐の肥やしにするのは至極当然

そこまで言うのであれば、「最低賃金を引き上げ家計を豊かにするだの、養育費の無償化」など、実現に程遠し時間を要する訴えに誰が耳を貸すのか

給与が増えれば、それ相応、家庭内の環境やステータスを”徐々”にゆっくりと改め変化させる、それが”消費”である

この”消費”は、単純に「生活とは別に将来の不安と対峙する為の蓄え」があってこそ、それを前提に徐々に金を使い、世を、地域の経済を回すのだ

蓄えなくして、ただ配る=使え、誰が喜ぶのか?一時の政治家の公約を実施するといった「自己満足」に過ぎない

金さえ配れば票が集まる、それは「釣り」か?

と言う事柄を踏まえつつ...未だ全てが解消された訳ではないにしろ、人は「外へ出る・人に会う」と言う傾向を面倒になってはいけない

それは、「個」の意識を強め過ぎることで、結果「孤独」になってしまうのだ

だからゆえに、コロナ禍前、その後、この生活感を戻す切り替えのタイミングは非常に難しい課題だ

人は2年も過ぎれば、今の生活でもなんら支障が無い、そういうマイナスな結論に達してしまう恐れがあるから

ネットが普及し、外へ出なくとも必要以上の情報が手軽に得られる時代

お腹が空けばネットで”ポチる”だけで食料は届き、たまにネットサーフィンして欲しい物を見つけても、所謂”オンラインショッピング”(通販)が当たり前

よく周囲に耳を傾けてください、「外へ出たい」と声を上げるのは、ある一定の年齢層、それもお酒などの道楽や快楽の為にでしかないのに気付く

学生も、「学校へ行かない」、そして定番の「学校行事も全てない」、卒業式も入学式もずっとずっと...自粛

何をやっても無観客、あの4年に一度の祭典、オリンピックも「おもてなし」などともてはやし、誘致が決まるまでが最高潮の盛り上がりだった

その祭典が、ここ日本の主要都市「TOKYO」で初めて、当たり前だった「4年が5年と言うスパン」に変わったのだった

私達”事業主”は、日々「時代の商売」について、常に変化に対応適応することを求められるが...結論、それでよいのだろうか?

始まれば当然何処かで「終焉」もある、その時にこの「時代の商売」が根付いたままであれば、それこそ経済崩壊を意味するのではないであろうか

先に触れた「ニーズとシーズ」は-今限定のもの-であり、今後も同じでは成り立たない

要は、コロナ禍以前、後、どちらでも変わらないニーズに着目し、変わらぬ商売が最も”強み”なのだと私は思う

経営理念を捻じ曲げるより、時代が元鞘に戻るまでの不況を、生き抜く為の資金を「現状維持」出来る為に給付しお金を配る、これが最も正論なのではないだろうか

とはいうものの、こういった文章を書く私も、「時代の商売」にハマり、外へ出れない事での発散先を、オンラインでの抽選や趣味の収集、そしてこれこそ今だから成り立つ商売、「オンラインクレーンゲームアプリ」などを使う様になった

少し前でと、昔で言うゲーセンに近寄ってもいけないと言うご時世、携帯越しの画面でリアルタイムで生配信するクレーンを操作し、俗に言うUFOキャッチャーを楽しむといった原理

「店舗に行かなくても、店舗に居るさながらの体験」、動きに多少のラグがあるにしても、獲得した商品は即日自宅まで配送なんて...一昔前では夢の中の話し

極論、「時代は変化し続けるもの」、これに反論は毛頭ない

但し、変わらず「残す文化」も...と言う、当たり前が当たり前じゃなくなる時の人間のメンタルが心配だから

皆が強い訳じゃない、だからこそ元々の自分を思い出す事の大切さ!

今日はこの辺で

藍-今時のUFOキャッチャー事情が凄い!-の人

千冬.jpeg
posted by 株式会社INDIGOBLUE at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする